光が射す。

「その人らしさの追求」

について最近よく考えている。

すると、こんな動きがでてきた。

 

前回お話しした難病の利用者さんが私たちにこんな提案をしてきてくれた。

 

「朗読をしてほしい」

「スピリチュアルな話しをするだけの時間を作ってほしい」

 

と。

 

今の職場に私と似たような考え方をしてくれるナースがいる。

彼女が産休から戻ってきてから2人でその利用者さんの訪問をすることが何度かあり

私たちも、そしてその利用者さんも気持ちが動き始めた気がしている。

 

それは一方的な想いでないと感じるからここにこう書けるけど

「この人たちなら自分の想いを叶えてくれるはずだ!」と彼がそう感じてくれたんだと。

 

私は関わる事ができなかったけど第1回朗読会が行われた。

ご本人希望で太宰治の詩集だったと。

しかしその支援に入ったナースは普段読み慣れない本に悪戦苦闘したと聞いた。

その後私が訪問した時にご本人に感想を聞いたら

「久しぶりに活字に触れる事ができて嬉しかった!」と。

そして奥様も「こんな主人のわがままにつきあってくれてありがとうございます。涙がでるほど嬉しかった。」と。

 

実は私はこのご夫婦が前から朗読を希望していることを知っていた。

なんとかできないか、ずっと考えていて

元々朗読は好きだけれど、もっと朗読の勉強をしてから実践したいと想い

私は「朗読の達人」になるための勉強を始めている。

毎日自宅の天井をみつめ

死の恐怖に苛まれていたこの利用者さんに

光が射して来たように感じる。

「次もまた太宰を読んでほしい」と自宅に直された本を奥様に出してもらったりしているらしい。

 

昨日受けた講義の中で私が印象的だったのは

 

「私たち看護師は死を看取る仕事だけれども

死んで行くあなた(患者、利用者)と、行きて行く私(看護師)

ではなく

先に死んで行くあなた、といつか死んで行く私。

なんだということ。」

まさに私たちが今実践しようとすることは

エンドオブライフケア、そのもの。

 

今週は私ともう1人のナースで「スピリチュアル座談会」を実践。

彼も話したい事が沢山あるらしいが

もう1人のナースが「私たち2人が来たら話す時間ないかもですよ〜」と言ったら

「それでも全然構わない。2人に来てほしい」

と言ってくれた。

 

私たちにも光が射す。

 

いつか訪れる最期のときまで

 

「ともにいる」支援を続けたい。

 

エンドオブライフケアは始まっている。

 

 

 

 

その人らしさ、私らしさは不完全さ。

「その人らしく生きる」「私らしく生きたい」

「その人らしさを尊重する」

そんな言葉が飛び交った先週の研修。テーマは「人生の最後まで寄り添うということ」

最近私は自分がやっている仕事について自信をなくしていた。

私は看護師という職業でありながら、果たして在宅を支える「看護師」の役割を担っているのか。

今回の研修は事例発表を元にワールドカフェスタイルで行われた。通常このような研修で行われるいわゆる「グループワーク」みたいなものだが私はこのスタイルが好き。今回は自ら「ホスト」役を立候補した。

ラウンド4まであるこのスタイル。ラウンドを重ねる事に学びは深まる。

ラウンド2終わりにこんな問題提起がある医師からなされた。

 

「みんなその人らしく、とか、その人らしく生きる、とかよく言うけど

その人らしくって一体何なの??

その人らしく生きる、ってことは具体的にどうすることがその人らしさ?」

「僕たちは患者、利用者に対して一方的な想いだけでその人らしさを感じ、

満足してることはないかな?」

医師、看護師、介護士、ソーシャルワーカーなどなど多職種の人が集まるなかで問われたこの言葉に皆沈黙した。

私はふと今関わっている難病の男性のことを思い出し、こんなことを発表した。

 

「彼は難病で今は人工呼吸器装着、栄養は胃瘻からの注入。もちろん吸引も必要。すべての事に介助が必要で、1人では何もできない。もちろん会話もできない。コミュニケション方法はかなり限られている。どこへもいけず、近いうちに訪れる「死」に対して毎日不安な思いで生きている。」

「こんな身体でどこへもいくことはできない、行きたくない、と閉じ込め状態にあるその方が先日こんなことを言った」

「それはこんな流れ。信頼するリハビリの先生が所属する病院のイベントでみんなの前で着物をきて大喜利をすることになった。その先生はとてもマジメで、その先生が大喜利でどんな面白い事をいうのか期待している、という情報を私が訪問中に話したときのことだった。」

「とある、コミュニケーション方法で私にこう伝えてくれた。」

「おまつり(そのイベントの事)に行ってみたい。」

と、笑いながら。

「そのとき私の頭と心の中でこんなことが思い描かれた。」

「おまつりにくることができなければ、私たちが訪問大喜利をしたらいい!

訪問看護や訪問リハビリは医療保険で動いていてもちろんその枠の中ではでいないことはわかっている。

それなら何かボランティア団体でも私たちが作って、その利用者さん宅へいけばいい!」

その方は多趣味で他にも好きなこと、見てみたいもの、聞いてみたいことが沢山あることを私は知っている。

「死」に向かうためだけに在宅を選んだんじゃない。

その為だけに過ごすのでなく、今できる事、叶えられる事を一緒に考えて行きたい」

 

と、熱く語ってしまった。

するとその問いを投げかけた医師がこう続けた。

 

「その方のために、その方が何を必要とし、それを叶えるために僕たちは何ができるのかを考え合うことこそがその人らしさを支えることだと思う。

結果うまくいかんくたっていい。その為にみんなで考え、それに向かったということが大切。」

「きっとその利用者さんもあなたのその思いに気付いていると思いますよ。」

 

この発表内容が私の答えだった。私はこんなケアがしたいんだ。

 

最終ラウンドでは最初のメンバーに戻り今日のまとめを行う。

たまたま席が空いていたから、ということでその日の司会の在宅の医師も加わった。

「その人らしさ」についての追求を何度も行う。

その私の熱い話しを真剣に聞き、みんながメモをとる。

最後その先生がおっしゃった言葉がとても印象的だった。

「とある精神科医師のことばに

私たちは何に人生の意味を感じるのか。それは

世界で自分が唯一の存在であること。

例えば、愛される事。その人にとってあなたは唯一無二の存在である。

そして、不完全であること。」

全てがパーフェクトな人なんていない、ダメなところがあるのが人間。

そこを認めてあげること、ダメな部分があっていいんだよって。

 

また看取りの研修でよく聞く「スピリチュアルペイン」。

終末期がん患者の魂の苦悩に対してのケアのことである。

話せば長くなってしまうのだけど私が大切にしたい言葉は

「傾聴」と「ともにいること」

である。

そのような想いを感じながら一緒にいることが

 

「人生の最後まで寄り添うということ」

なんだということ。

それは在宅でも、病院でも、施設でも同じ。

私はその難病の利用者について考えるケアは

医療的なことだけではなく、その魂の苦悩にスポットをあてたい。

彼にとっての人工呼吸器、胃瘻、吸引、排便介助などの処置は生きて行くうえで一番重要なことであり、看護師である私がその部分を看ていくことは必須である。

が、私はそれらのケアは「彼の生活の一部」であるとも思う。

彼が在宅にいる意味を一緒に考えていきたい、考える事ができる看護師になりたい。

様々なケースがあると思うが、その利用者さんには今後もそういった視点で関わっていきたいと思うのと同時に

私自身を見つめ直すいい機会にもなった。

余談だが

がん患者が助けを必要とする時間は何時か、という統計があるらしく。

助けを必要とする時間は

深夜0時と3時だそうだ。

自分のことを必要だとしてくれる人に対し

その人のニードに答えようとすることは

決して「依存」などではない。

それが「信頼」につながっていくんだと私は、思う。

どんな関係性であっても。

 

 

今年を振り返る。

今年も早いものでもう10月。

去年の今頃にも同じようなタイトルで記事を投稿した。

今年もあとわずかというところで、この1年をざっくり振り返る。

 

 

今年はとにかく「楽しい」ばかりの1年だった。

去年は割と辛い事ばかりな1年だったけど、

今年は辛いと感じる事は今の所ないかもしれない。

 

それは特別良い事ばかりが続いたわけでもなく

一つ一つを掘り起こせば、楽しいことばかりではないけど

私の考え方や受け止め方が変わってきたせいかもしれない。

 

今年は様々なセミナーを受講した。

ブロガー仲間の皆さんが其々の得意分野を発揮され、丁寧に講座を定期的に開催してくださった。

記憶術に、速読、アンガーマネジメント、幸福論、正直論。

その全てが今の私に役立っている。

さらに、今年は占いやカードに出会う年にもなった。

手相占い、タロット占い、宿命も知った。

「ストレングスファインダー」では私の資質に気がつく。

そして今年も沢山の方と繋がって、さらにパワーアップしたように感じている。

 

今年私が得た物は

「信頼」

「手放す勇気」

である。

この2つは今後の私の人生のテーマになりそうな気がしている。

 

しかし、今年は去年以上にブログの更新頻度は少なかった。

来年こそは頻度をあげていこうと思う。

 

今年もあとわずか!

来年の私は「立花!」

ますますパワーアップできそうな予感しか無い!

もっと自分を大切にできるように、きっとそれが相手を大切に、幸せにすることに

繋がっていくと思うから!!

 

 

 

私にしかできないことがきっとある。


http://topics.smt.docomo.ne.jp/article/okinawa/region/okinawa-104764250
今朝読んだ記事に共感せずにはいられない。

過去の記事に私も同じような気持ちを書いた事がある。

そして一つ前の記事にもあるように、今の私はやや自信喪失気味。

長く同じ仕事をしていると、スキルアップの機会があってもアップしているのか分かりにくくなってしまったりすることもある。

もちろん、医療従事者としていわゆる「医療ミス」は絶対におかしてはならない。

人の命を預かる重要な任務、責任は大きい。

しかし、そのようなミスではなくとも日々仕事をしているとうまくいかないことや、同じ事を指摘されてしまうこともある。

そんなことが積み重なると、不安な気持ちを抱え仕事をすることになり、ますますうまくいかなくなるという悪循環。

本当にやりたいことは今していることなのか。

じつはここ3ヶ月くらい、毎日考えていること。

しかし、では何がしたいのか、という答えは出そうで出ずに

毎日時間だけがすぎていく。

 

私の本来の熱い気持ちを忘れてやないかい?

 

私がしたいのは「看護」

 

看護と言ってもいろんなパターンがある。

私は自身の資質、「コミュニケーション能力」を発揮すべき

そして「感性」をいかし、患者とともに気持ちを共有、共感し

そして、認知症の方との関わりから学んだように

優しい気持ちを感じ合う、寄り添う、時に笑い、時に泣き。

そして「看取り」へ向かう方々が、

優しい気持ちで、安心して過ごせる環境を本人、そして家族と語り合う。

「痛み」をとるために私は何ができるだろうか。

「不安」な気持ちってどう解消できるのか。

そうゆうことって勉強だけをしてもわからない、様々な経験や資質があるからこそ

できる。

 

「知識」や「技術」はあってあたりまえ。

そこに私は「人間性」を高めたいという想いが強く、今私はそこを高めようと日々勉強してきたんじゃない?

 

この記事をかかれた看護師の島袋さんが最後に言っている言葉。

「治療だけでなく当事者の生活に幅広く目を向けて、より良い選択を一緒に考えていける存在になりたい。」

これは私が今まで思っていた考えと同じだった。

そして、島袋さんも言われているように「私だからこそできる支援があるのかな」につながる。

 

いろんな看護師がいたっていい!いろんな看護師がいるからいい!

みんな得手不得手があり、きっとみんな同じように思っているのでは?

それは職業関係なく言える事かもしれない。

 

私は「看護師」だけど「看護師ぽくない」看護師かもしれない。

在宅で暮らす、不安な気持ちの方々にとって、安心感になることは何かを考えることこそが

私がこの仕事をしていく醍醐味。

そうゆうことを考えていくのが好き。

「私にしかできないことがきっとある」

この言葉が私を救ってくれた。

人間、ずどーーーーーんと落ちるから

びゅーーーーーーんと這い上がる力がわくんだと実感。

 

「私らしさ」を知ってるって強みだとも実感。

 

 

 

私は果たして看護師なのか。

子どもの頃から憧れていた職業。

この仕事以外の職に就く事なんて考えられなかったくらいなりたかった職業。

それは「看護師」

私は幼い頃、思い出せないくらい昔から「大きくなったら看護婦さんになりたいです。」と語っていた。

その夢を21歳で叶えた。

 

「看護師」とは。

「疾病者や褥婦などの療養上の世話、または診療の補助などをすること」

と習ったような気がする。

つまり、疾病に対して、治療や薬剤について、解剖学的側面、生理学的側面、そしてさらには精神学的側面から患者をみること。

そのような医学的な役割とともに、患者の性別、年代、病気の種類、家族、とりまく環境などなど総合的にケアをしていくなんとも難しそうな仕事である。

最近感じるのは

私はそこまで「医療」に関心があったのか?

というひとつの疑問である。

正直「医療的側面」から患者を看ることが私は苦手だ。

今年からその苦手な分野を克服するために選んだ分野は「訪問看護」

訪問は看護師1名対患者。自宅という医療機器のない場面での判断を迫られる事もある。

毎日が緊張の連続、そして毎日が勉強。

そんな毎日を過ごしていたら、少し苦しくなってきた。

私はなぜこの仕事を選んだのか。

私がなりたい看護師とはなんだったのか。

 

看護師は「医療職」であり、「医療」の専門職である。

医学的側面な部分を完璧にしなければならないのはあたりまえである。

少し自信をなくしかけている自分がいる。

私って看護師なの?

私がやりたかったことってコレ?

 

自問自答な日々が続く。。

 

 

 

「手放す」ことができないのはなぜ。

こんなタロットカードを引いた。

まさに私の潜在意識だといえる。

このカードを引いてからの私は、前以上に「手放す」ということを考え始めた。

 

このカードの本にこんなことが書いてあった。

 

「自分は1人で学ぼうとする時に一番難しい事が許しだとしたら、二番目に難しいのが手放すことです。」

「手放すことによって解放されるのは、非難や恨み、罪悪感、喪失、欲求、そして全ての執着やしがみつきの下に隠れている怖れです。」

 

これはまさに先日受けたセミナー「正直論」に通じるものがある。

そんないろんな過去、嫌な記憶、見たくなかったものに蓋をしているだけの私はその想いをずっとひきづっているがゆえに「暗いストーリー」を作り出してしまっている。蓋をして、言葉に出さないだけで記憶から末梢したと思い込んでいた。

そんな感じでしょうか。

だからなのか、「夢ノート」を作り、叶えたい事を書く事により叶えられて来た願いも沢山あるけれど、

どーしても拭いきれない、手放せないことがたった一つあることに気がついた。

 

手放す事を怖れている自分がいる。

気持ちだけ手放す事ができるなら、当に手放せていたのかもしれない。

 

手放す事によって、自分をとりまく環境までも手放してしまうことになりそうな気がして。

ずっと蓋をしている状態が続いていた。

蓋はいつもはしまっていて、蓋を時々開けてしまいそうになり

 

開けてはダメだと蓋を閉じる時もあれば、あけてしまうこともある。

 

それを繰り返し、繰り返し。

私のココロはけっこうズタボロなのかもしれない。

 

「自分を感じる」ことの大切さを教えてくれた。

このメッセージを受け。

自分を感じると、先週あたりからいまなら手放す事を怖れずに

手放していいと思えるようになってきた。

もちろん、気持ちだけを手放す。

勇気を出そう。

 

そして、この気になる真ん中のカード。「セクシャリティー」(笑)

このカードが意味する事は「新しいレベルへのセクシャリティーがえられる」ということらしい。

 

すべて私へのギフト。

素直な気持ちで受け入れて、前を向く。

蓋をしていたビンは捨ててしまおう。

 

 

時には過去を振り返るのもいいことだってある。

 

私は在宅で過ごす方々の支援をしたいと今訪問看護の仕事をしている。

在宅には寝たきりで口から食事がとれない方。

オムツで介助が必要な方。

人工呼吸器が必要な方。

身体は元気だけど認知症の方。

 

また、家族の手厚い介護が受けれる方、そうではない方。

大家族で生活する方、高齢独居、または老老介護の方。

 

おかれる状況は様々であるが共通することは「不安」の中日々過ごしているということだ。

 

私はこの在宅サービスの仕事を初めて8年になる。

なぜ私が在宅サービスをしたかったのか、それにはこんな理由があった。

 

約10年前。

私の父は60歳という若さで他界した。膀胱癌だった。

宣告から9ヶ月のスピードで父はほぼ全身に癌が転移した。

父は私にとって尊敬できる人だった。それは、決して素晴らしい人間あったとか、そう意味ではなく「父がいたら、どんなことだってうまくいく」「父がいたら何も怖くない」そういった感じの父だった。

頑固で、自己中で家族をいろんな事で困らせた。

何度も病院へ行った方がいいと言う看護師の娘の言葉も一切聞き入れないような人だった。

 

そんな父が病いに倒れた時。私は2歳と0歳児の育児にかかりっきりで、正直父の介護に携われていない。

また看護の現場を離れていた私は死が近づく父に対して、どんな言葉もかけてあげることができなかったことが今でも後悔だ。

父は病院でなくなった。

私は最期に間に合わなかった。

父は家が大好きな人だった。いつもフラッと1人で出かけていき、1人の時間も好きな父だったけど、必ず家に帰ってきていつも同じ場所に座る。

 

裕福ではない家、狭い団地、だけれどそこが父にとってのかけがえの無い場所。

30年住んだ我が家が大好きだった父をなぜあの場所で看とってあげれなかったのだろう。

 

父は亡くなる直前まで「家に帰りたい」と言っていた。

意識が朦朧とし、輸血をしながら動けない身体をベッドから一生懸命に起こそうとして、私に必死に

 

「家に連れて帰れ。靴をもってこい。」と言った父の顔が今でも忘れられない。

 

当時父は60歳だったけれど、システムとして必要であればまた希望すれば在宅医療へ切り替える事は可能だったはずだ。

今の私ならば多少知識もあり、子育ても一段落してもっと父に取っての最期を考えることができたかもしれない。

しかし、その父はもういない。

 

考えてもどうしようもない。

 

そんな気持ちから、私は私と同じような想いをする人の力になりたいと思った。

「看とる」場所が在宅であることが良い、とそうゆうことではなく

その方にあった最期の場所。または看取りでなくても療養する場所。

父の時は母以外の家族が其々の事情で父の病気に対して向き合えず、母任せにしていたこと、病院側からの説明不足。色々な要因はあったと思うが、私は娘として父に対して申し訳ない想いでいっぱいであることは確かだ。

10年がたち、私も色々な勉強をし、経験もして「父に対して申し訳ない」という気持ちは少し緩和されてきて、その分「父にできなかったこと」を関わる利用者さんに施している。

そして、在宅だけでなく「不安」に感じる事を医療従事者である私に話してもらいやすい関係作り、そしてその方にあったサービスの選定、また多職種との連携を行い、利用者、家族に取って「後悔」のない療養生活を送ってもらうことが私の使命だと感じる。

「看護」といっても色々な事を意味する。

患者の身体に触れ行う医療処置(点滴や胃瘻、吸引、呼吸器管理などなど)、入浴の介助だったり清拭など、患者、家族とのコミュニケーション、日常生活に対する指導。

もっと、もっと経験を重ね、今の私だからできること、そして話せることがある。

若かった頃の私にはできなかった看護もきっとある。

私は「治療」という分野よりも「不安」な人の不安な部分を取り除ける分野に力をいれていきたい。

それは、父の看取りから私が学んだ事。

きっと父も私にその使命を与えてくれたと思う。

 

今私は過去にあった辛い記憶や、見たくなかった光景、について手放そうとしている。

父がなくなったという現実は、もちろん辛い記憶なんだけれど

この記憶は手放したくない。

今日なぜかふと父の事を思い出し、過去の事を思い出した。

その事でわき上がる私のモチベーション。

それは私の使命を父が奮い立たせてくれた。

自分を見失わず、前をむけと父からのメッセージが私のココロに届いたようなきがした。

恐れていた知らせ。

 

恐れていた知らせがきた。

 

この夏休み前に、通知表より恐れるこの医師会からの封筒がついに我が家へ。。

 

長男の時もかなり恐れていたけれど、一度ももらうことはなかったこの茶封筒が

今日帰ってきたらダイニングテーブルにおかれていた。

 

しっかり封がされているけれども、中身はもうわかっている。

 

もらってきたのは6年生の次男。

 

この知らせは

 

 

「あなたの子どもさん、肥満なんでもしかしたら小児成人病や心臓に問題があるかもしれないから病院につれていきなさいよ。」

 

という知らせ。

 

学年に数名しかもらえないこの封筒を手にした息子は

 

身長140センチ。体重45キロの完全なる肥満。

 

なのでこの夏、次男ともにダイエット計画をたてる。

 

食事はもちろん、運動も。

まずはウォーキングから始めるか。

 

 

憧れの人。

 

私には20歳になる姪がいる。

今から20年前。私が21歳のときに勤務していた産婦人科で彼女は産まれた。

彼女の出産に私は立ち会い、そして産まれて初めての沐浴をしたのはおばである21歳の私だった。

彼女は2500グラムにも満たない小さな赤ちゃんだった。

 

あれから20年が経ち。私は看護師免許取得し20年。

そしてもうすぐ20歳の誕生日を迎える彼女は今、看護学生だ。

彼女曰く、看護師として働く私の姿をみて看護師を志したといってくれた。

 

そんな彼女は今病院実習真ただ中!

元々人見知りな彼女。まだまだ慣れない患者さんとのコミュニケーションについて悩み、その悩みを私に相談してきてくれた。

 

それはもう、嬉しくて。

 

彼女にとって私は「看護師の先輩」になれたんだと思うと、彼女の力に是非なりたいと思う。

 

しかし、立場が異なる私と姪が同じケアをやっても意味は無い。

 

彼女だからできるケア、学生だからできることを見いだしてもらうためにいろいろアドバイスをしてみた。

 

学生の間はわからないことだらけ。

なんとも懐かしい気持ちにもなれた。

 

私も「こんな看護師さんになりたい!」と思う憧れの看護師さんがいた。

いつも患者さんと同じ視線で、優しく話しかける看護師さん。

絶対こんな看護師さんになる!!

と、思ったのが19の春。

今、私は利用者と同じ視線で話すことを一番大切にしている。

 

そんな憧れの看護師がいるって、心強い。

そして今、私はそんな存在になりかけている。

 

初心を思い出させてくれた姪に感謝。

一緒に、看護の道を歩いていきたい。

彼女の力になるとともに、私ももっと、もっと憧れに近づけるように。

 

 

こころのない「大丈夫」ならいらない。

 

先日人生初のMRI検査を受けた記事をあげたが、、

なんと、私、、、

 

ま、薄々は気付いていたのだけれど。

 

軽度の「閉鎖恐怖症」であることが判明。

「しこり」が悪性じゃないのかという不安よりも、実はMRI検査を受けることのが不安だったという。

 

今日はそんな話。

 

 

みなさん、MRI検査受けた事ありますか?

 

そう、あの細い筒の中に30分も閉じ込められちゃうあの検査。

想像はしていたけれど、想像を絶する体験をし、そしてその経験からの気付きもあった。

 

検査室に私を呼び入れたのはまだ若い男性の放射線技師。

 

「MRIの検査を受けた事ありますか?」と爽やかな笑顔。

 

「いいえ。初めてなんです。正直怖いです。」

 

「そうなんですね。」と検査の説明を丁寧にしてくれる。

正直、そんな説明殆ど頭に入っちゃこない。目の前にある筒が気になって仕方ない。

 

「では検査を始めます。横になってください。」

その筒の手前におかれた台に横になり頭を固定する。

そこまではまだ大丈夫だった。

 

続いて私の顔の上に蓋をするかのように機械がかぶせられる。

怖くて目をつむる。

それでもまだ大丈夫。

 

「では機械が動きますよ。」

 

私が乗せられた台が筒の方へ向かってガタンゴトンと動き出す。

 

お、なんかヤバいぞ。

 

そして筒の中へ到着したのか動きが止まるのを感じる。

私は目を閉じているので見えていないのだが

 

なんとも言えない閉塞感。頭がぐるぐる回りだす。

心臓はバクバク鼓動をうち、

半端ない吐き気に襲われた。

 

「今から検査を始めますが、大丈夫ですか?」

 

技師の声が聞こえうっすら目をあけたら、顔を覆う機械の隙間から技師の顔がみえた。

 

 

「大丈夫じゃないです><一回出してください。」

 

と、訴えた。

 

「すぐに出します」

 

出してもらえたもののめまいはひどく、耐えられないほどだった。

 

「一度、深呼吸をしてみましょうか。5分くらいおいてもう一度、、、」

と技師は言うが、、、私、、多分無理。。

 

「この状態で30分は正直無理です。検査できないと思います。自信ありません。」

 

「でもこの検査をしなければこのしこりの原因はわからない、、気になっているんです。」

 

「どうしよう。。。」

 

と悩む41歳の私をみて若き技師はこう言った。

 

「心配ですよね。しこりの原因気になりますよね。僕はこの検査を受けて安心してもらいたい。是非受けてもらいたい。何か方法がないか考えますので少しお待ちください。」

と、言い残し奥の部屋へ。

 

5分ほど経過したころその技師が戻ってきた。

 

「今までやったことない方法で検査をしてみます。僕たちも初めての試みでうまくできるかわかりません。それでも筒の中には入ってもらわないといけないのでそれができなければ今日は検査できないということになりますがよろしいですか?」

 

その熱いまなざし。

 

患者である私の為に色々考えてくれたことが心に伝わる。

 

「お願いします」

 

私は身を託した。

 

私の顔面を覆う機械をとっぱらい、ほっぺたを固定。同時に頭と頚元が動かないように工夫。

 

「このまま筒の中に入りますよ。目は開けないでくださいね。」

 

私は目を閉じたまま筒の中へ送られた。

 

 

それから30分。

 

なんとなんとも快適にMRI検査を受ける事ができたのだ。

 

この若き技師さんの想いが嬉しくて筒の中でじーんとしてしまった。

 

無事に検査終了。

 

感謝の気持ちを伝え私は検査室を出た。

 

 

私は日頃病気や、検査に不安な気持ちにある利用者のサポートをする仕事。

決して「何気なく」ではないが「大丈夫」という言葉をよく使用する。

 

今回、事前に外来ナースから検査の説明を受けていた。

その時も「狭い所が苦手だし、初めて受ける検査なので不安です。」と伝えていたが

そのナースは「すぐおわりますから、全然大丈夫ですよ。」

と。気持ちが全く伝わらない「大丈夫」。私はそれから検査までの2週間不安でたまらなかった。

 

そして検査を受けた瞬間も「全然大丈夫じゃない!!」状態だった。

 

もし、私が心から大丈夫だといえるような説明を受け、安心していたらもしかしたら検査もスムーズにいったかもしれないとも思う。

 

だからこそ、私は同業の人間として

いつも相手の立場や気持ちになり、寄り添う事を忘れない「声かけ」をしていかねばならないと改めて学んだ。

 

「大丈夫」は魔法の言葉というけれど

 

心ない「大丈夫」ならいらない。

 

今回、いろんな経験をして、

様々な病いに不安を抱く方々にとって、専門職である私たちの存在、言葉がどれだけ影響するのかを身をもって知った。

 

余談だが、検査中。私がもたくさして時間をオーバーしているのにイライラしていた先輩らしき女性の技師がやってきて、その若き男性技師に

 

「外来に急患の脳梗塞の人がきとるんやけど💢」(怒りマークは私が感じた印象)

と言いに来たので、

 

「私のせいで押してるんでしょ。すみません。」

 

と言ったら、その男性技師さん。今日一番のスマイルで

 

「ぜーんぜん、きにしなくていいです!関係ないですから安心してくださいね〜」

 

と丁寧に検査を進めてくれた。

 

こーゆーのも大切。裏事情も同業としてはわかるが患者の前であんな態度、発言をした女性技師はNG。

 

看護の要素として「技術」「知識」「態度」というものがある。

これは私が看護師になってからというものいつも念頭においている言葉である。

人を思いやる気持ちを忘れずに、

優しさをもって、これからもこの仕事を続けていきたいと心に誓う日にもなった。